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アテネ五輪サイトより 福原愛【Ai Fukuhara】 卓球 1988年11月1日生まれ 身長155cm 宮城県出身 <経歴>1998年 ミキハウスジュニアスポーツクラブ所属。現在、青森山田高等学校一年生 <戦績> 1998年全日本卓球選手権大会 一般の部 ダブルス 史上最年少出場 ベスト32 1999年全日本卓球選手権大会 一般の部 シングルス史上最年少出場 ベスト64 2002年釜山アジア大会 女子団体 銅メダル/全日本卓球選手権 女子ダブルス(ペア 小西杏)優勝 2003年アジア選手権 女子ダブルス 準優勝世界選手権(パリ)女子シングルス ベスト8 2004年全日本卓球選手権 女子ダブルス(ペア 小西杏)優勝 ジュニアの部 優勝/アジア大陸予選シングルス3位 3歳から卓球。悔しくて泣きながらラケットを振る。いじらしいその姿がテレビでオンエアされると、たちまちお茶の間のアイドルに。卓球少女・愛ちゃんは、否応なく行く先々で好奇の視線に晒され、プレイ以上に私生活へも注目が集まる。15歳のアスリートは今、どんな想いでいるのだろう。 小愛從3歲就開始打桌球了。(會不會太早阿...)一副不甘願、邊哭邊揮舞著桌球拍的樣子。小愛惹人愛的樣子在電視上撥出後,沒多久就成為大家茶餘飯後討論的偶像了。不論好不好努力往目標前進的桌球少女小愛,被大家好奇的視線所注目,不只桌球,連私生活都引人注意。15歲的運動選手現在是怎麼想的呢。 (「...否応なく行く先々で好奇の視線に晒され...」這邊不太會) ~卓球の力が、すべての原動力に~ 「泣き虫、負けず嫌い、何事も気にしない性格」 まだあどけなさが残る15歳の愛ちゃんが、自らの幼い頃をこう表現する。涙こそ流さないが、勝ちにこだわる姿勢は今も卓球界を揺さぶり続ける。卓球のために仙台から大阪、そして青森へと移住。卓球を軸に、家族も全面的サポートをしてきた。 「愛哭鬼、不服輸、對什麼事都不在意的個性」。稚氣未脫的小愛從小就是這樣(指前面說的個性)。小愛雖然都不流淚,但是他對勝利的執著至今仍然衝擊著桌球界。從仙台到大阪再搬到青森,都是為了學習桌球。家庭是以小愛的桌球為中心,並全力支持他到現在。(好偉大啊!仙台→大阪→青森,可真遠...。大學要到哪?呵呵。我看應該是東京吧...) (揺さぶる:shake; shock; move。這樣翻不知道可不可行?) 毎日がハードスケジュール。学校、練習、クタクタになって帰宅してから約30分の間に入浴と食事を済ませ、2時間びっしり家庭教師と勉強。やっと就寝できるのは11時過ぎる。「よく寝て、よく食べ、よく笑う」を信条に、日々を乗り越える。青森山田高等学校は、東大を目指す子が集まる進学校であり、卓球をはじめ野球・バスケ・柔道などスポーツに特化した学校である。体育の授業はない代わり、各スポーツの練習がそれに該当する。ちなみに、愛ちゃんの好きな科目は英語という。 他每天都過的很緊湊。上學、練習(桌球),累到不成人形後才回家。回到家之後,洗澡、吃飯30分鐘,再完完整整的上2個小時的家教,等到可以睡覺的時候已經超過11點了。「多吃、多睡、常笑」是他的信念,如此一天一天地過下去。青森山田高中是個聚集許多以東大為目標的學生的升學率高的學校、也是個對以桌球為首,棒球、籃球、柔道等運動特別重視的學校。(會不會太強阿,這個學校... =.=)取代體育課的是每個運動的適當的練習。此外,小愛喜歡的科目是英文。 アテネオリンピック選手に選ばれたことはまだ実感が湧かない、と淡々としている。彼女の一挙一動をマスコミがネタにしたがるから、アイドルのようには笑顔を振りまかないし、大人受けするような狙ったコメントはしない。あくまで自然であり、それが福原愛の可愛さでもある。卓球が愛ちゃんに与えてくれたことは数知れない。 「還沒有被選上雅典奧運選手的感覺」,小愛平靜的對待。因為媒體喜歡把他的一舉一動當成題材,所以沒有像偶像的那種做出來的笑容,也沒有像大人一樣被設定的意見。(這一句翻的夠爛)非常的自然,這就是福原愛可愛的地方。桌球帶給小愛的東西實在是數也數不清。 (振りまかないって?) 「物心ついてからずっと卓球があった。だから卓球を辞めて気づくことがあると思う」自分の限界がみえて、卓球を辞めようと思ったことも多い。まだまだやりたいことがある。将来役に立つ勉強もしたい。世界選手権の際に、栄養士が同行し食べ物の与える影響について色々教えてもらった。「自分も、こんなふうに人の役に立つ仕事ができるといいな」と目を輝かす。練習以外の楽しみは「小4から6年間やっている携帯メール」と屈託がない。 「不管物質還是精神,都有桌球的影子。所以曾經想要放棄過桌球。」小愛看清自己的界線,好幾次都曾經想要放棄桌球。還有很多想要做的事。想要多學一點有用的事情。在世界選手全比賽的時候,有一位營養學家一起去,教了他許多關於因食物而產生的影響。小愛眼中充滿希望的說「如果自己也會像這樣對別人有益的事情就好了」。小愛沒有遺憾的說,除了練習以外的樂趣是「從小4到持續到現在的手機mail」(我想應該是用手機傳mail來聊天吧)。 ~オリンピックでは最大限の力を~ オリンピックでは「何試合できるかわからないけれど、一試合一試合がんばれるところまでがんばりたい。オリンピックが終わってからは3日間くらい少し休みたい」と表現も希望も控えめだ。ミキハウスというスポンサーについては、一言で表現すると「中国語でいえばハオ。とてもいいという意味。おもしろくて楽しくてやさしい会社。ものすごく優秀な人が集まっているのに、皆フランク。社長さんが気どらない人だからかな」と笑う。「アテネでは自分の持っている力以上、最大限に発揮してきます。応援よろしくお願いします」と、ファンへも気遣いを忘れない。 對於奧運「雖然不知道可以晉級到哪裡,但是至少希望每一場都可以努力去比賽。奧運結束後想要休息三天左右。」小愛不管是對於自己的表現或是希望都很含蓄的沒有說出來。如果要對他的贊助商mikiHouse說句話的話,小愛笑笑的說「如果用中文的話是:好。是非常好的意思。也是有趣、快樂、體貼的公司。雖然聚集許多非常優秀的人,但是大家都很坦承相對。社長像是有點神經大條的人」。小愛也不忘對小愛迷關心一下「在雅典,我會盡我最大的能力去比賽。請支持我、替我加油」 (何試合できるかわからない→可以贏幾場→可以晉級到哪哩,這樣OK?) よき理解者である父母と兄に囲まれ「家族にはずっと支えてもらっている。もちろん今一緒に暮らしている中国人コーチ湯媛媛も家族同様。お姉さんのような存在」という。朝ごはんは、お母さんお手製の料理。卵野菜スープや野菜炒め、魚、果物など好きなものだけに箸をつける。 他身旁有很了解他的父母和哥哥,他說「家人總是一直支持我。當然現在住在一起的中國人教練湯媛媛也和家人一樣支持著我,就像是姐姐一樣。」早餐總是媽媽做的早餐。也只吃他喜歡的食物,像是青菜蛋湯(不會翻)、炒青菜、魚和水果等。(不是說食物隊比賽也很重要嗎….orz) 将来、自分の子にも卓球をさせる?の問いには「いえ、させません」と即答。「自分がその厳しさ、辛さをよくわかっているので耐えられないと思うから。もちろん、その子がやりたいということであれば、あとは本人の自己責任。途中であきらめたり投げ出したりしなければ、やりなさいという」その実力を人気に比例させてきた選手。卓球歴12年のこの夏、どんな成長ぶりを試合で見せてくれるのか。愛ちゃんが闘う姿を見ていると、まるで自分の家族がプレイしているように手に汗を握ってしまいそうだ。心からエールをおくりたい若さである。 對於「將來也要讓自己的小孩打桌球嗎?」的問題,他立刻這樣回答「不,不會。因為我自己很清楚打桌球是有多麼的嚴苛、辛苦。當然,如果我的小孩有說他想要打的話,我會讓他打,不過那就是他自己要對那個決定負責。如果中途說想要放棄之類的話,我會要他持續下去。」他是一個靠實力或許支持的選手。在這個桌球資歷第12年的夏天,他會在比賽中讓我們看到怎麼樣的成長呢。看小愛比賽的樣子,簡直就像是自己的家人在比賽一樣,會讓人緊張到手冒汗。會讓人想要打從心底替他加油的那種精神。
by charge627
| 2005-05-29 20:05
| 翻譯練習
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